司法試験に失敗した人のその後の人生はみんなが言うようにそんなに暗いのか!?

司法試験や予備試験の受験を検討中の方であれば一度は試験の合格出来なかったらどうしよう、失敗したら悲惨では!?などと何とも言えない不安や心配事を伴っているひとも多いのではないでしょうか。

今回は、約20年ほど前に旧司法試験に挑戦を続けるも不合格を重ね一旦は撤退した元司法浪人で現在40代から予備試験浪人に舞い戻り50代で司法試験に合格する予定の私、ひでいちが旧司法試験崩れの末路ではありませんが、その後から今回の予備試験からの再挑戦への経緯について経験談をお届けしたいと思います。

司法試験合格体験談であれば各司法試験予備校のサイトに多く情報としてあります。また、失敗して退場された方の情報もけっこうあると思うのですが、わざわざ再登場するというのは変わり者の種に入るのではないかと思います。ぜひ予備試験や司法試験受験で検討していらっしゃる方は参考になれば幸いです。

司法試験崩れの末路のつらさは心理面。

司法試験に限らず、難関資格試験を志し、合格を勝ち取るためには犠牲にしなければならないものがあります。一番大きいのは時間です。家族や親しい仲間たちとの時間。それらの時間を合格に向かっての準備である勉強に費やすわけですからいろいろと我慢というか忍耐力も必要になってきます。それで合格できれば笑い話にもなると思うのですが、合格することができなかった時のあの脱力感をどう説明したらいいのか……

どうにか自分の中で折り合いをつけて新しい道へとスムーズに進めたとしても無意識なのかこの司法試験に関係するバッチが目に飛び込んでくるようになりました。弁護士のバッチは比較的認知度があると思うのですが、司法試験の受験経験者くらいしか気づかないであろう司法修習生のバッチまで目に飛び込んでくる始末。

この修習生と私と何が違ったのだろうと都度、受験時代がフラッシュバックのように浮かび上がってくる。今ではその違いははっきりと分かっているのですが、その程度のことも分からずただ答えの出ない質問を自分自身に課していたんですね。

つらさの原因は内容の伴わないプライド。

私の場合は司法試験に合格して司法修習期間を過ごしている合格者を街中で目にするたびに自身との違いを考え続けていたということで、これは端的に実力がないのにプライドだけはあるという何とも嫌な奴の典型のような要素だったのだと思います。

他の人が同じような状態であればすぐに気づいたのかもしれませんが自分のことを客観視するというのはなかなか難しいものです。

旧司法試験の一時撤退後の進路。

私の場合はとにかく何か没頭できるものがないとダメという性格がありました。司法試験の受験を一旦見合わせよう、そう思った次に進んだのが政治の世界でした。政治家の秘書であればここまで学んできた法律の知識も何か役立てることができるのではないかと知人に紹介された政治家の下で早朝の辻立ちから深夜の会合まで精力的に働きました。

10年近く秘書として活動して様々な選挙の現場を経験しましたが、単純に楽しかった。自分が足を踏み入れるまで見えていた外側からの政界にたいする印象と実際に身を粉にして働く内側から見るそれとのギャップ。そして、そのギャップはどのようにして作られているのかなど今の私のキャリアには全くといっていいほど関係性が無いのだが、ただただ興味深くエキサイティングな時間だったと思います。政治家の秘書の話の内容は詳しく書けませんが、新しい仕事を次々に解決していく日常は性に合っていたのだと思います。

秘書の後は派遣社員として

約10年ほど勤めた秘書と言う職業を退くきっかけは単純なものでした。自分が政治家となって活動するというイメージが全く自分の中に湧かなかったというものでした。人それぞれ考え方はあると思います。それなら秘書として議員に仕えるというのも一つの道。しかし、私にはその選択肢は無かった。どうせならゆくゆくは議員を目指す人間が秘書として仕える方が良いという判断でした。

秘書時代、早朝から深夜に至るまで働き通しだったことが影響したのか秘書という職業を退いた後は人と会うことなどが煩わしくなっていました。あまり良いことではありませんが。秘書を辞めた後、街中なんかでも支援して頂いた方々とすれ違うことがあるのですが、都度現在の自分の日常についての説明責任のようなものが伴うのです。

今以上に人間的に未熟でした。

これまでの経歴を活用する形でのコネによる転職も嫌で一旦完全に政治から離れたかったという思いと、自分のことを全く知らない人たちの中で働きたいと思い派遣会社に飛び込みました。

仕事は何とでもなるし、将来的な安定なんて幻でしかないのでは……

私は養わなければならない大事な家族があります。というとしっかりせんか!!というお叱りを受けることになるかもしれませんが、他人のお叱りはどうでも良いことです。

現在は派遣の仕事も辞めて、昔からの信頼できる仲間と事業の準備を進めながら予備試験の準備に熱中しています。もともと就職超氷河期世代の私には安定という言葉ほど怪しさを感じるものが無いのです。ただただ何をするにしても徹底的に熱中して結果に満足を求めたい。

今はインターネットがある。当たり前の話ですが、インターネットが無かった時代を学生として過ごした私にはこの今の環境が便利すぎてありがたい。働く環境もネットの出現前後でガラッと変わりました。何とでもなる時代です。

最も貴重なのは今。今この瞬間だけ。

ここ近年VUCAの時代と言われています。技術の進化の速度は凄まじく、5年後や10年後ではなくて2年後3年後がどうなっているかさえ不透明な時代でもあります。2045年くらいと予測されていたシンギュラリティ―も近いかもという予測もある現状です。どれだけの職業が残っているだろうといわれている時代です。シンギュラリティ―という簡単にいうとAIなどの技術が人間の知能を超越したときに起こるであろう様々な問題点を予測する専門家の中には知的職業は淘汰されるという主張もあるくらいです。そうすると苦労して頑張って司法試験に通って弁護士などの法曹という職業に就くことができたけど仕事ではなく職業が無くなりはしないかと一瞬考えたこともありました。しかし、不毛な心配だとすぐに思いました。

年を重ねたせいか、今この一瞬一瞬が一番尊いと最近思うようになってきたのです。同時に打倒完璧主義です。完璧主義も行き過ぎて頭でっかちになると全く前に進めなくなるという弊害があります。

今この一瞬集中する、この瞬間に懸ける。目の前のタスクに集中できずに先のことを考えても空しいし、思い通りにはならない。

社会人経験で学んだ、結果を伴わない努力はムダということ。

旧司法試験時代の私は目を覆いたくなるくらいに青かったし未熟だった。今も修行中ではありますが、そんな今の自分から見て恥ずかしいかぎりです。旧司法試験の合格を目指していたころの私は努力に対して価値を感じていた。しかし、現在の考えでは結果を伴わない努力はムダだということ。人生論としては大切な要素だと思います。それが若かりし頃の僕は分かっているようで全く分かっていなかった。そりゃ落ち続けますよ……

人生の戦略に仲間は必要。

ここまで書いてきても何ら大したこともなく、そろそろまとめに入ろうかと思います。が、これまでの経験でやはり大事だなと私が思ったのは信頼できる仲間。多くは不要で1人2人信頼できる仲間がいれば幸せだと思います。そんなもん必要ないとおっしゃる優秀で強い人もあるかと察しますが、私には仲間がいればいろんな挑戦を検討する時に心強いと思います。そういう意味で決して司法試験や予備試験をなめているわけではないのですが、最低限の礼儀などを大切に人間関係も大事だと思います。視野を広く保つことでいろんな気づきがあると思います。

目標は40代で予備試験突破、50代前半で司法試験合格。

繰り返しになりますが、僕の学生時代に比べてテクノロジーの進歩の恩恵で本当に便利な世の中です。情報があふれ適切に取捨選択できれば様々な問題解決もよりスピード感を持って臨めると思います。

こんな時代だからこそ今の瞬間を大事に熱狂できるものがあるというのは幸せだと思います。

結局のところ、前を向いて歩いて行けたら良いなってことだと思います。

40代で予備試験を目指し始め、50代で司法試験に合格できたとして仕事はあるのという質問もあるかと思います。それは分かりません。が、挑戦した人間でないと見ることができな景色があります。これはまさに僕のストーリーですね。レバレッジをかけて猛進前進あるのみです。

あくまでも自己責任で。