予備試験に1年という短期合格を果たす人と5年10年何年たっても合格しない人の相違点。
予備試験であれ司法試験であれ難関資格試験であっても試験である以上、試験場での環境は平等である。それなのに1年で合格した方が存在すると同時に何度も何度も挑戦しても合格していない人がいる。多くの司法試験受験生や受験を検討しようかという人たちの中の大多数からはおそらく1年などという短期で難関資格に合格する人は特別に優秀な人、天才、はたまた宇宙人などと形容されている感想を目にすることがある。たしかに文系最難関資格と評される司法試験ならびに予備試験に1年やそこらで短期合格する人は超優秀だと思う。
ところでその優秀な短期合格者のどこが優秀だったのかについて具体的に解明とまではいかなくても真正面から考えたことがあるだろうか!?今回はなぜ予備試験に1年で合格することができる人がいる反面、いつまでたっても合格できない人がいるのかについて考えてみる。このプロセスは短期で出来るかどうかまでは分からないが合格するためには必要な考えだと思うから……逆に合格できなではなく、何度も繰り返しているケースでは合格しない人とも取れると思います。
予備試験や司法試験に1年という超絶短期で合格した偉大な先輩方のブログなり体験談を読んでの気づき。それは試験にコミットしているということ。主体的であり、積極的であり、言い訳をしない姿勢。
一般に予備試験対策は過去問ですよ、司法試験は過去問に始まり過去問に終わるくらい必死に解かなければいけませんよ!!なんてフレーズは受験環境に身を置いている人なら耳にタコ状態だと思います。そんなことは当然だと厳しいご指摘があるかもしれません。しかし、1年程度で短期合格を果たす人たちはこの過去問一つに取り組む際も問題の正答ではなく何らかの発見、気づきを求めながら取り組んでいらしたのだろうと推察する。
別の表現で、予備試験であれ司法試験であれ試験対策のプロであり受験のプロの意識をご本人が意識していたかどうかは別にして持ち合わせながら日々の試験対策、準備にあたっていたということ。
司法試験や予備試験に限らず大学入試や高校入試の段階から過去問が重要だってことはずーっとそれぞれの受験の際には言われ続けていることであるし、当たり前のこととして捉えている。でも身に付く人とそうでない人がいる。身に付く人は対象の問題に積極的であり、身に付かない人は消極的である。身に付く人は能動的であり、身に付かない人は受動的である。
社会に出てどんな仕事であれ従事するとそれなりにできるようにはなる。そこで、あの人はできる人だ、あの人はちょっとねぇといった具合に時間の経過とともに周りから評価されるようになる。私は基本的にずるいなと自分で思うところがある。それは、楽をしたいから目の前の仕事を可能な限り早く習得し処理なりなんなり対応できるようになるという一貫した姿勢で臨むという考え方。周りの人は○○さんって真面目ですね、仕事に熱心ですねと評価するがとんでもない。本音は楽したいだけ。
結果的に対処方法を習得した仕事はいちいち考えなくて済む。自動的に対応できるようになる。そして、全てとは言わないが仕事中に都度考えながらやらなければいけない仕事が世の中にどれほどあるのかという単純な疑問が生じるようになった。そして、そう思うようになって試験に当てはめるとどうなるか、それは試験会場で都度考えていてはだめだという結論に至ったということです。
短期で新しいスキルを次々と習得していく人は積極的に取り組み能動出来である。いつまで経ってもなかなかおぼつかない人は完全に消極的で受動的。常にどうすれば対象者のスキルの向上につながるのか、どうすればストレスなくスキルを習得してもらえるかを考えながら対応していた身としては最終的にスキル習得のプロセスでの習得速度の違いは以上の対応姿勢の違いだったと結論付けたい。
試験合格対策と仕事やスキルの習得は別物という批判があると思うが、わたしは根っこの部分では共通している部分が多いと思う。取り組む姿勢という部分は全く同じではないかとすら思います。ただ問題が違うだけ。
能動的に取り組む人は、同じような対象に対応するさいも何かしらの気づきであったり発見に敏感で、そのような機会に遭遇したときにはとても充実した印象を示す。
一見すれば民間企業の仕事の内容と司法試験予備試験という何ら共通項もないように感じられる両者ですが、わたしの中ではこれだ、これだったんだという強い衝撃的な気づきを得ました。
司法試験の過去問が大事という抽象的な命題をより具体化してどのように取り組めばより効率的で効果的かというヒントが詰まっている得難い気づきを得る経験でした。
私が過去問に取り組む際の目的は、予備試験対策の準備の過程で合格率を高めるための気づき、発見をより多く得るということ。漫然と問題を解いて今回は正解だった、今回は間違えたと一喜一憂するだけにあらずということです。
以上を踏まえて、予備試験に1年で合格できたというのはあくまでも結果であってそうなるように工夫を重ねられたプロセスに裏付けられているということだと思います。